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KOKUBUNJI

『国分寺愛、その原動力は?』
聞かれると少し困る質問です。期待に添えるお答えができないから。
 
たまたまです。
たまたまなのです。
書いてあったから。
 
カレイドスコープ思考の四つの欄には「自分」「家族」「仕事」「地域社会」と書いてありました。
「地域社会」...
どうもピンときません。
 
フィランソロピーへの関心はありました。でも、地域でなにをすれば、「幸福感」「達成感」が得られ、「存在意義」を感じられ、「育成」することができるのだろう。
雑誌が創刊された2004年。あの頃は、そんな気持ち。
 

 
治療、療養で体力も落ち、2006年 フリーランスで独立するものの、経済的にきびしく、旅に出たり、都心に出かけたり、そういう機会は減る一方。
 
遊びに行きたい、友人にも会いたい。
でも行けない。
 
それなら、遊びそのものを作ろう。
セルフケアで始めていたクリスタルボウルの演奏をイベント化。
音楽や映像、上映会も地域でやってみる。
遊びに行くより、遊びに来てもらう。
そんなシフト。
 
やり始めて気づくことがありました。
打ち合せが近くて便利です。移動の時間とお金が節約できます。
 
その頃、ECサイト運用のためHTML、CSS、JavaScriptなど学んでいました。簡単なウェブ制作ならできる。それを活かしてみる。
 
地域で行われている様々な活動がネット上で見える化すれば、どんなつながりが生まれ、どんなことが起こるのか。想像と行動と実験の繰り返し。
 
遊びを通じて「対話の場づくり」をしたいと思っていました。
 
いろいろな企画を通じて、また、気づくことがありました。
本番はスぺシャルなひととき。打ち合せや準備過程がそのまま「対話の場」そのものでした。
 
なにか貢献するぞ!という思いよりは、あそびを通じて暮らしの満足度をいかに高めるかという関心。限られた条件とともに、たまたま書かれていたこと(地域社会)とクロスしていきました。
 
ぼやけていた「地域社会」という言葉は、うっすらと輪郭を描き出します。
 10年の実験です。
 
その過程で、
「地域」そのものが注目され始める
関わったことが広く認知されたり、成長したり。
それぞれの活動は第二、第三のステージへ。
 
身近な距離感で懸命にやることで、かえって広く視野を持つこともできました。
シンク・ローカル、アクト・グローバル
 
 
限られた制約の中、可能な限りできることを。
手を抜くならやっている意味がない。
機会ひとつひとつに、精一杯対応
 
どうしたら、どう見せたら、どう伝えたら、地域の人に伝わるだろうか。考えながら、ひとつひとつ。
 
そして10年。
 
機会ひとつひとつに、ニーズに応える努力を続けたことで、その結果、自分自身のできることが増えました。
 
それぞれができること、やりたいことが、まちのなかで呼応しあって、個が地域の中で生きる、活かし合う、そういうことを目の当たりにしました。
 
そして、想像を超える出会いがありました。
 
今は、札幌と国分寺を行き来する暮らし。国分寺で顔の浮かぶヒト。その場所に会いたい人がいるってこと。そしてなにかあれば力を出し合える関係。
 
やってみてわかること。つちかえるもの。この経験はどこにも売ってない。
 
たまたま書かれていたある記事のフレーズ「地域社会」。そのことで、自分と住むまちの距離や人間関係は大きく様変わりしました。思ってもない副産物だらけ。